2014年9月24日水曜日

全閉? それとも

私は小学校5年生の時に音楽の授業での歌唱のテストの時に、
担任の梅子先生から「メタルマン君は声が綺麗だから今日から『歌唱部』に入りなさい。」
という事で担任の指示でその日の放課後から急遽『歌唱部』に参加することとなった。

もちろん歌唱などというものに興味も知識もなく、何をどうして良いのか全く分からず
子供ながらに非常に不安であった。
少なくとも薦めてくれた担任が付き添って、最初の紹介位はしてくれるのだろうと思って
いたら、実際には、忙しかったのか何もしてくれず、私一人で『歌唱部』の部活動が
行われている教室へと向かったのである。

当該教室に入ると既に部活動は始まっていて、訳も分からないので仕方なく最後列に立ち
皆と同じように歌い始めると、
前方で指揮をしていた顧問と思しき女教師が私に向って大声で
「こらっ、そこの横を向いて歌ってるヤツ! 何やってるんだ? ちゃんとできないんなら歌唱部をヤメろ! 教室から出て行け!」

しかたなく、訳も分からないので私は退出し、帰路に付いた。
翌日担任の教師から「昨日の歌唱部はどうだった?」と聞かれ、事の顛末を説明すると、
そうかダメだナ~というような返事のみで歌唱部の顧問に連絡や相談をしてくれる気配も全くなし。
ボーっとした子供の私でも、全く意味不明でさすがに不愉快であり傷ついた。

後日、子供の私なりに考えた結果は、歌唱部の顧問は私が初参加であることも知らずに、
ちゃんと指揮棒を見ずにそっぽを見て歌っている私を見てふざけているものと判断し立腹、
「ヤメろ!」となったというものである。

歌など好きでもなかったし辞めさせられても何とも思わなかったが、あの時の不愉快さは今でも忘れられない。
当該両教師のわずかな心配りが欠如していたおかげで、私は自分の才能に気付くこともなく、もしかすると人生の1つの可能性を見付け損ねたかも知れないと思う。(-_-;)

その後中学で運動部に入り、無茶苦茶な応援等の声だしの強要で声変わり前の微妙な時期も手伝い、中途半端な「ハスキー声」になって現在に至っており、歌を歌う事にも縁が無く敬遠する人生であった。

しかし家業を嫌って就職すると、営業職であり宴会やら付き合いの飲み会でどうしても「カラオケ」の出番が回ってきて強要され、拷問のように感じていた時期があり、
それを見かねたのか面白がって勧めたのか、カラオケ好きの先輩がスナックで私に歌って練習するように強要し、怒った私は先輩に札を投げつけ帰ってきてしまった事も有った。

その後退職し家業を継ぐまでの数か月間、旅行やプー太郎生活をする中で、何故か俄然カラオケをやる気が沸いてきた。
それから私は連日朝からKキャベ駅近くの親戚のそば屋の2階宴会場に独りで行き、当時の8トラのカラオケ機で練習、下階の蕎麦屋ではお客さんが蕎麦を食っている中、構わず二階で絶唱・熱唱の毎日である。(笑)

その頃はよく、車に乗っても何時もカーステレオでカラオケを流し歌の練習をしていたが、
ある時、いつものように絶唱しながら信号で止まると、歩道のおばさんがビックリしたようにこちらを見て笑っている。
こちらも、 「何だろう?」と思って見ていたが、とんでもない事実に気が付いた。

「全閉」だと思っていた車の窓ガラスが「全開」だったのである。(@_@;)
一気に赤面である。(笑)

K0090336

そんなこんなで、大分努力はしたのであるが、
やはり私には歌の才能は無かったようであり、
未だに上手の部類には入れないのであります。

しかし、20曲程度は厚かましく連続で平気で歌えるのであります。(笑)
果たして、良かったのか、悪かったのか分かりませんが、
努力の結果でありますので堪忍を。 m(__)m