2014年3月5日水曜日

夕焼け

夕焼け2 

この話は10年程前に、中学の同級生のK一君にメールで伝えただけで他には誰にも言ったことが無い。
今から25年程前、
巨額(9桁)の借金の返済のために奮闘を始めて5年程経過した頃のことである。
この借金が出来た理由は話せば長くなるが、
要約すれば
学校の教員であった父方の祖父が父が7歳の時に早逝し
進学の道が閉ざされた父が、高等小学校卒業の後「(株)中島飛行機製作所」に入社し
やっと一人前になった頃に徴兵で満州へ行き、程なく終戦間際にソビエトの侵攻によりシベリア抑留(2.5年間)
バイカル湖の更に西方約700Kmにある、悪名高きタイシェット第7ラーゲリ(収容所)に収監(あえて収容とは表記しない)され、
まともな食料も、ろくな防寒装備もなしで零下50℃にもなるシベリアでの森林伐採等の重労働に従事させられた。
父のいた処では実に半数近くが栄養失調・発疹チフス等の伝染病・凍死で亡くなったという。
帰国後は「レッドパージ」により公職・大企業への就職に大きな規制が有り、専門の「機械分野」や「速記者」としては就職出来ず、
止む無く当座を凌ぐため現在の「板金業」に従事、下請け企業となる。

その後朝鮮戦争特需等で大きな浮き沈みを経験したが、
10人ほどの従業員を抱え昭和45年頃元請け会社が倒産し仕事が皆無となる。
その後自己(父一人で)開発の「そばカマド」等でメーカーとなるまでの2年8ヶ月間、
文字通り収入ゼロの状態で「10人程の従業員」に銀行借り入れで給料を払い続け、
仕事が無かったため従業員はノンプロの如く毎日野球の練習に明け暮れ、なんと当社は当時春日部市の軟式野球連盟の大会で雪印の系列会社である(株)アンデスハムを破り優勝している。

しかしその間に出来た借金は重くのしかかり、私が昭和58年に勤め人を辞めて家業に従事することになった時点で既に元金6,000万円程であった。

金の計算は父に似て苦手な私であるが、いくら何でもこれではダメだということになり、
新しい「飲食関係の事業」の計画をし、勿論従業員の方とも話し合いをしながら進め、
いよいよ計画に具体的に着手しようという処になって従業員から、
「やはり、良く考えてみたら他の業種で苦労するのは嫌だ。全員で退職する。」というのである。

私は耳を疑った。
1年半前に私に「帰ってきて自分達の為に家業を継いでくれ。」と言ったその同じ工場長の口からその言葉は出たのである。
しかも、のうのうと2年8ヶ月間何一つ仕事もせず、毎日朝から晩までキャッチボールをして給料をもらっていたその人達の決意なのである。

そして昭和59年、60歳を過ぎた父と二人きりで(正確には母もなれない事務仕事をし、姉も就職して自立して頑張ってくれた)気の遠くなるような借金返済の毎日がスタートし、歯を食いしばって頑張って来られた原動力は裏切ってやめて行った人たちへの「怒り」「恨み」そして「見返してやりたい」という感情であった。

そんな毎日を繰り返し、何時しか体も以前よりはかなり頑丈になり憎しみもやや薄れてきた頃、
いつものように一人で工場での仕事を終え帰宅するために県道320号を南西方向にさしたる感情も無く我が家を目指し車を運転して、
いつも通り慣れていて特段意識などしたことの無い「松富橋」橋上に差し掛かると、
そこからは、夕焼けで眼前の景色一面が見渡す限り真っ赤で、しかも真正面には夕映えの富士山が大きく見えた。感動した。

とてつもなく情けなく思えた。

借金に追われて毎日苦しい労働をしている自分が情けないと常日頃思っていたが、
この夕焼けを見た瞬間に覚えた情けなさは全く異質のものである。
夕焼けがこんなに綺麗だということさえも気付かずに、何年も過ごしていた自分が例えようもなく情けなく、
涙が溢れ出た、拭ってもぬぐっても止めどなく流れ出る涙で夕映えの富士山も霞み、なお一層赤く輝いた。

この一瞬で、この意気地の無い私も少し強くなれたように思う。
「自分の人生が情けないのは、状況が情けないこと以上に自分自身の心根が情けないからである。」
そう思えるようになったからだと思う。
元々明るい性格ではなく無表情で一人でいるのが好きだったような人間であるが、
これを境に少しは積極的に、そして許される範囲内で楽しむことも少しづつ出来るようになり、
多くの方たちと知り合うことも出来たのだと思う。
結局20年程で借金の返済は終わったが、この不景気である。
まだまだ大変であるが、親父が晩年よく言っていた言葉を思い出し頑張ろうと思う。

『どんなことも人生の大切な1ページだ。それがたとえ、如何に辛く嫌な事であっても、人生の貴重な時間であることに変わりはない。』
親父は75歳を過ぎたあたりから「残り時間の少ない自分にはどんな嫌な時間でも無いよりは有った方が有り難いんだ。」
と考えていたようです。
今大変な状況を抱えている方には、そしてもし低きに流れそうになった時には是非私の事を思い出して頂きたい。
こんなバカな奴でも何とか頑張って生きられるんだ、人生はそう捨てたもんじゃないよとネ。(^o^)