2014年12月7日日曜日

昨日・今日 そして明日

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昨日、いや一昨日は久し振りに浦和に行きました。
ちょっとした問題が有り、それが膠着していた為3ヶ月程行っておりませんでしたが、
知人Y氏の尽力によりその問題解決に向けて大きな動きがあり、
再び前向きに努力する為に会合に参加しました。
過去ではなく現在、すなわち未来を見つめてもう少し頑張ってみようと思います。

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そして昨日(6日)は、
30年以上前に勤め人をやっていた時の後輩2人からお呼びがかかったので、
「BAR 銀座 山崎」 http://yamazaki.japanfood-s.com/bar_ginza.html
に飲みに行って来ました。
「BAR」と言っても、私がまず思い浮かべる「カウンター内に渋いオジサンがいて静かに飲む」店ではなく、カウンターにいるのは若い女性ばかりで、店の支配人もこれまた若い女性であります。 
そして適度に盛り上がって会話が弾むように演出されております。
みな若いのに頑張って仕事をしているなと感じました。
店名は今オンエアされている朝ドラ「まっさん」に出てくる(私は視ていませんが)山崎蒸留所の「山崎」であります。
竹鶴政孝氏が国産ウイスキーを作ってくれたからこそ、こうして楽しく飲めるのであります。
いつもは「焼酎のお湯割り」ばかり飲んでいる私ですが、感謝なのであります。(笑)

それから、
画像にあるのは「鹿肉カレー」であります。
流行の「ジビエ料理」ですが、なんとこれがお堅い「何とか白書」なんていうものを主に扱っている書籍出版・販売社(後輩E君の勤め先)http://www.gov-book.or.jp/portal/shop/tokyo.php
で販売されているのであります。(・・?
時代の流れであらゆる処でボーダーレス化が進み、何でもやらなければならない世の中になっているのだと肌身に強く感じました。

もう一人の後輩F君は数年前に玩具関連企業の社長を務め、
現在はその本社  http://www.bornelund.co.jp/
に入って頑張っております。 自然志向の玩具や遊びの重要性を重視した特色ある事業展開を続けている企業であります。

皆が頑張っているのを見てとても嬉しく、そして私も頑張らねばと思うのであります。

後輩二人はもう一軒行きましたが、飲み会の続く私は一軒のみで帰宅致しました。

とにかく今日もみんな生きている。
とりあえず、それだけでOKだ!  (笑)

一軒しか行ってないのに、飲みすぎか?
少々頭が痛いぞ。

最後の画像は「Kキャベ駅前のライトアップ」。


それから大事な事を言い忘れそうになりました。
後輩のE君のゴチでありました、どうもありがとうです。m(__)m

2014年11月25日火曜日

泥棒

 

住まいから6㎞程の距離にある工場で2007年以降の4~5年の間に複数回、
金属類(主にステンレス・アルミ・銅・真鍮)の窃盗被害等に遭った。

北京五輪前のスクラップ高騰に端を発した「金属盗」というヤツである。
始めは、敷地内ではあるが屋外の材料置場にあった新しい材料を持ち去られ。
警戒して材料を工場内に保管して施錠するようにすると、
今度は屋外に保管してあるスクラップ(板やパイプ、アングルといった材料の切れ端)
を持ち去り、ある時は8㎏程度のアルミ(当時350~400円/1㎏)の釜50個ほどの山が一晩で無くなった。
2トン車では2度以上に分けないと積みきれない嵩である。

繰り返される度に警戒を強めたが、
敵も更に悪質の度を強め、門扉に鎖と南京錠で施錠すると、
南京錠のツルをちょん切って開けて入るという悪質さ・厚かましさである。
まあ常識的な程度の大きさの南京錠であったが、
ツルの部分が7㎜程度であったため簡単に切断されてしまったようであります。
しかし鎖も同程度の太さなのに何故南京錠の方を切断したのか?

当時使用の南京錠はかなり古い物で、ロックされるのはツルの片側(開放する側)のみなので、
こちら側を切断するだけで簡単に開いてしまうのだが、
鎖は両側を切断しなければ開かない為、迷わず南京錠の方を切断したと思われます。

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画像はSUS304製8Φツルの南京錠と、同じくSUS304で8Φの太さの鎖。
右側画像の「ボルトクリッパー(全長900㎜程度)」で切断すると、
このように鎖は両側を切らないと大きく開口出来ないのであります。

しかし南京錠の方も、最近の物はツルの両側がロックされる構造が多く簡単には開かなくなっており、
現在工場の門扉には両側ロックで「10Φ鋼ツルの南京錠」が付けてあり、SUS304製8Φの鎖をダブルで掛けてあるため、完全とは言えないがかなり切るのは面倒で抑止にはなっていると思う。

この鎖を買いに行ったホームセンターで担当者に事情を話していたら、
そのホームセンターの広大な駐車場(1000坪程度?)の全周を夜間囲ってポールに通して施錠してあったSUS304の鎖を、南京錠を切って一晩で全部盗まれたとのこと。
また他の店では、施錠した南京錠を切断してステンレス製ポール自体を持って行かれたそうである。


つづく

2014年10月31日金曜日

さよなら さんかく。

会うは別れの始め。

7月の下旬に我が家の前の雑草の中で見付け
早や3ヶ月間が過ぎた。

本当に良く頑張って生きてくれたが、
そろそろお別れの時が来たようだ。
カブト虫

かぶと虫ちゃん、
今度はもっと良い処へ飛んでけよ。

さよならさんかく、もう来るなよ~。

2014年10月30日木曜日

何故か緊張は無しでした。

先日の記事に書いたとおり
10月27日(月)15:00~17:00 川崎市産業振興会館で行われた「川崎市ウェルフェアイノベーションフォーラム」にて、受賞アイデアの試作化・製品化のためのマッチング会が行われ、生来の苦手中の苦手の大勢の前での発表(プレゼン)をやってきました。

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ここ数年で少しは慣れましたが、やはりDNAが向いていないのか、到底イケイケの感覚にはなれません。
しかし、130人程の福祉・医療・企業のお偉い方を背にして最前列で待機し自分の順番を待っている時も、今までならドキドキして落ち着かなくなってしまったのにそうでもありません。
自分の順番が来るまでの間原稿を読み直して手直しして、赤色・青色で沢山添削してしまいました。壇上に上る時も大丈夫で、上がったら一気に緊張するのかと思ったらそれも有りません。(@_@;)

プレゼンでは、私の考案した「入れ歯洗浄・保存容器」の内容を説明し、その後「口腔ケア」は虫歯や歯周病を予防するだけでなく、高齢者の命を脅かす「肺炎」の実に60%を超える『誤嚥性肺炎』の予防に非常に有益であり、口の中の清潔を保つだけで全ての肺炎の発症率を40%程度抑制出来ることや、
日本の入れ歯使用者総数が2,963万人(平成23年予測数値)であること。

そして、国民総医療費(医科・歯科・調剤 合計で38.5兆円)のデータを使い、
日本の医科入院費総額14.4兆円の 3.1%
歯科医療費総額     2.7兆円の16.6%
に当たる4,450億円が70歳以上の誤嚥性肺炎患者の入院費として使われていて、患者や家族に肉体的・経済的負担を与えるばかりではなく、自治体や国の医療費負担も大きくしているという事実をお伝えし「簡単に早くしかも綺麗に入れ歯を洗える洗浄・保存容器」が大きく貢献できると信じる旨発表致しました。

優秀な医療施設や機関、そして有名な医師や教授が口腔ケアの必要性を説いていても、現場で実行されていないのは、手間が掛かる・やりにくい・時間が掛かるなどの理由で無理だからであり、すばらしい理論を実現する為にはそれに見合った「マニュアル」や「器具」が必要で、素晴らしい論理だけでもダメで、現場でただヤルだけでもダメなんだと思うのです。
もし可能であるならば、私はその橋渡しをしたいと、そんなことを壇上で感じました。

それからもう1つ今回勉強になったこと。
私と同じ賞をもらった方と話をしたら、その方はこの10年位で30以上の有名なコンテスト等の受賞歴がありご本人の話によれば、その方は子供の頃ADHD(注意欠如・多動性障害)でどうにもならなかったが、ある時その病気の人は発明や考案に非常に向いているんだという話を聞き、やってみたら予想以上に出来たとのこと。 発明王トーマス・エジソンもこの病気だったと言われているようです。

私も子供の頃、何かが分からなくて辞書を引くと他の事が気になって気になって仕方がなく、どんどん他の事を調べてしまい、気が付くと全然関係ない事を調べていて大元の肝心な分からないことは分からないままというのが多かったと伝えると、それはADHDではないがやっぱりちゃんとした病気でこれも発明や考案には適しているんですよと言われました。

子供の頃からずっと、自分は変わった奴で仕方がないナと思っていたのですが、変わった奴ではなくちゃんとした病気と分かり安心しました。(笑)

ならば発明出来るかもネ?

2014年10月8日水曜日

長らく待ちましたが、

今年の1月に受賞した「かわさき福祉製品アイデアコンクール 優秀賞」
川崎福祉アイデアコン 楯 (16)
川崎市が「試作」や「商品化」の支援もやってくれると聞いていたが、
早や8ヶ月以上が経ち、どうなってるのかな~と気にしていたら、
先日川崎市の担当者の方から連絡が入りました。

昨年まで単独で行われてきた「福祉製品アイデアコンクール」は
今年から「川崎市ウェルフェアイノベーション」 
http://www.city.kawasaki.jp/280/page/0000059504.html
で扱われることとなり、

来る10月27日(月)に行われるウェルフェアイノベーションフォーラム
http://www.k-kijun.jp/welfare.html
にて紹介され、試作や商品化を希望する企業とのマッチングをして頂けるとのこと。

どうなるかは正直全く分かりませんが、
折角のチャンスなので、全力で前向きに行きたいと思います。
また、受賞作品だけでなく他の関連する物も紹介させて頂けるようお願いする予定です。

本当に役に立つ物を自力で考案し、そしてそれが商品化され介護や福祉の現場の多くの方々にご利用頂き、少しでもお役に立てればと思います。
親父の言葉を胸に、更に頑張ってみようと思います。

 

 

2014年8月29日金曜日

占拠!

市内で30年以上ご愛顧頂いてきた日本そば店が店舗の移転工事中で、
新築のお住まいと並んで只今建築中のお店のずっと裏手に旧住まいと倉庫が有り、(広いんです!)
倉庫前に再使用予定の既存機器が一時仮置きしてあり、
それらをメンテナンスしに本日伺ってきました。
今日はこれまでに比べかなり過ごしやすく、仕事をするには有り難い陽気でありました。

同敷地内には何度行っても私には吠え付く柴犬と猫が数匹いて、
動物好きなオーナー様一家の優しい人柄が窺えます。

今日も作業をしている私の廻りを猫が行ったり来たり、
また寝っ転がったりしております。

昼前で終わらせる予定でしたが、
他の仕事の段取りや問い合わせの電話応対などで事務所出発が10:30になってしまった為、
昼チョット過ぎても全然完了しそうもなく、おまけに想定外の部品が必要になり(断じて忘れたわけではない!)
一度帰社し出直すこととし、メンテ途中のガステーブルにシートを掛けて道具類もまとめてひとまずおいとま致しました。

1時間半程して戻ると、シートの上で抱き合うように仲よく寝ている猫ちゃん。(笑)
起こしては可哀そうだがこちらも商売であり、やらない訳にはいかない。
「ちょっとあっち行ってくんないかな~。」と呼びかけても、なんだ~と2匹揃って人の顔を見上げるだけ。
仕方ないのでシートの端をちょっと引っ張ると、驚いて飛び退き「なんだよ~!」と言う感じ。

昼寝の邪魔して悪いねーと思いながら作業を進め、工具を取りにトラックに向かうと、
今度はトラックのシートの上に猫3匹。(笑)
しかも今度は新手のガタイの良い黒猫参入で喧嘩まで始まる始末、ムムム。

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2014年6月12日木曜日

「うどんカマド」 納品完了!

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【 (有)吾嬬製作所 製 「うどんカマド」 】


先日(5月28日)電話で御注文頂いた、親父の代から40年以上の永きに渡りお世話になっている「四国大名」(金町駅前のうどん店)様
  http://www.e-kanamachi.jp/shikokudaimyo/diary.cgi
に『うどんカマド』本体外形寸法W700×D850×H800 価格528,000円(消費税別途)の入れ替え(業界用語ではリプレース)に伺い、お陰様で問題なく納品完了致しました。
この「四国大名」さんはネットの書き込みでも「安くて美味い」というお褒めのコメントが多く、同店の良心的な経営方針を多くのお客様から高くご評価頂いているのであると、大変嬉しく感じました。
同じ会社の経営で、金町に「金町うどん」「立喰いそば そばっ子」「金町餃子」のお店があります。
お近くにお立ち寄りの節は是非ご利用頂きたいと思います。
「うどんかまど」も もちろん  (有)吾嬬製作所 !

2014年5月12日月曜日

チャレンジ再開!


このところちょっとお休みしておりましたが、今年予定していた3つの応募チャレンジの1つ目の応募書類を昨日昼前に投函しました。
時間がないので(実際はサボっていただけ)無理かと思っていましたが、今日の仕事が急遽中止になり時間が少し出来てギリギリ間に合いそうなので一昨日の夜遅くに頑張って申請用紙に記入し、今回はデザインマッチングのコンテストなので柄にもなくデザイン画も描きました。
(*^o^*)

諦めていたことが偶然可能になったこともあり、ちょっと良い結果を期待しております。(笑)
チャレンジ!

そして午後1時からは「(一社)技術士さいたま」の定時社員総会に出席致しました。
一昨年埼玉県主催の「緊急無料技術相談会」で、私が介護経験の中で考案した物などの事業化について相談に乗って頂いたのが縁で、私も出来る事は協力するという立場で参加させていただき2年弱になります。
新参者の私のことも温かく迎え入れて下さり、いつも感謝しております。m(__)m
そして、他に類を見ない本当の実質的な中小企業の支援(直接支援)を目指しているその姿勢に何より惹かれております。
世の中、皆が良くならなければ良くはならない! 自分が大変な時は世の中の皆さんも大変なんだと考え、出来る事をやり続けたいです。

で、昨日の総会でも言いたいことを申し上げました! (^_^)/

中小企業や個人企業経営の方で、技術相談や困りごとの有る方は是非「(一社)技術士さいたま」
までお声掛け下さい。
そして、一緒に頑張りましょう!

2014年3月28日金曜日

あー、ビックリした!

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昨日の記事で書いた長崎に納品する製品の梱包が終りました。
昨年までは近所に梱包運送業者があり、低価格でしかも早く梱包してくれて、尚且つ当社から発送するより低い料金で各運送業者を利用出来て便利だったのですが、業績低迷の為か営業所の統廃合で三芳市(当地から一時間以上)に移転となり、近くには他に業者が無いためやむ無く自分で木枠梱包!

で、運送の遅れも有るとの事なので、今朝8時過ぎに運送業者の近○レックスのE支店長宛てに確認のFAXを入れておき、
午後一で返事の催促をしたらFAX着いてませんとのこと(@_@)
仕方なく口頭で依頼内容を告げて、先程19:00頃再FAXをしたら通話中の音がして3度やってもダメ。

仕方なく電話すると、若い女の子が出て「は〜い♪ 近○でーす♪」
? ムムっ、となりながらも「今朝FAXしたけど届いてないと言うんで、今再FAXしてんだけど3回やっても着信してくれないから、ファクシミリ見てくれませんか?」と言うと、
「ふ〜ん、そうなんだ〜♪ でも、今FAX使ってないよ〜♪、だから大丈夫だよ♪ 」

な、なぬっ? お前はローラか? と内心怯んで、
「じゃあ仕方ないから、もう一回かけてみるネ。」
すると「そうだね〜、じゃ〜ね〜。」とオネエちゃん。(@_@)

それから5回目でやっと送信完了。
やっぱりどうかしてただろ〜、コノヤロ〜。と思いながらも何だか笑ってしまい。

一度わざわざ家に入って妻と娘に「運送屋に凄い電話番のネエチャンがいるぞ、・・・・」と顛末を話すと二人とも大笑い。
しかし、大丈夫なのかな「近○レックス㈱」あんな子雇って。 ちゃんと荷物届くんだろうな。

その後、E支店長からやっと確認の電話が有り、一応安心。

しかし、真面目が洋服を着て歩いているような私には、あんなガールフレンドもたまには良いかもネ。
毎日家に居られたら疲れちゃうだろうけど。(笑)

一時はチャーター便で届けることまで考えたので、何とかなって良かったです。


じゃーねー♪  (笑)

2014年3月9日日曜日

待ってろよ!

ワープ画像

昨日、5学年下の再従弟(はとこ)のKイチが53歳で亡くなった。
糖尿病で25年間の闘病生活に耐えてきたが、病状の悪化により多くの余病も併発し、最後は心不全のため彼の人生に終止符が打たれた。

彼は私が当地に越してきた年に生まれ、通常では「はとこ」ともなると疎遠になるものであるが、家が近かったことと、商売の関係も有って非常に近い間柄であった。
彼の父親の気質を受け継いだようで非常に性格の良い男であった、50年を超す付き合いであるが、彼から嫌な感じの仕打ちを受けたことが無い。

長かった闘病生活においても、周りにはあまり泣き言を言わなかったと思う。
そういえば彼の祖母も晩年「骨粗鬆症」で脊椎・腰椎が複数の圧迫骨折でどう考えても激痛が走っていたであろう状況においても、たとえ痛みで唸ってしまうような時にでも家族や他人に対して痛みを訴えたり、泣き言を言ったことが無かった。

当時私の母がその状況を見て、彼の祖母に「なぜ痛いって言わないの?」と聞いたところ「痛いと言ったところで痛みが和らぐ訳でもないし、聞いた周りの人が嫌な思いをするだけだろう。だから痛くとも痛いとは言わないんだよ。」と言ったとのこと。

母もそれを見習ったのか、晩年同じように骨粗鬆症とパーキンソン病の併発に悩まされ非常な苦痛を味わったと思うが、あまり痛いとは言わなかったし泣き言もほとんど言わなかった。
皆ナイスハートであり、声高らかにエールを送りたいと思う。 根性なしの私にはきっと真似のできない事であろうと思うが、少なくともこうあるべきという事だけは忘れずに心得て生きていたいと思う。

最近、年の近い知り合いや年下までもが次々に複数亡くなり非常に心寂しく感じて居り「明日は分からない人生に、一体何を求めるべきなのだろうか?」などと柄にもなく考えてしまうのですが、
いつも行き着く答えは、物や金による蓄財のみではなく「人との関わりや生きざまといった精神的な有り方の追及」であります。


ナイスハートの彼らに近づける様、毎日を大切に生きねばと思います。 そして彼らとなら再び同じ時を生きてみたいと思います。

冥福を祈ります。 
来世では絶対元気な体で生まれてこいよ、K一!

2014年3月5日水曜日

夕焼け

夕焼け2 

この話は10年程前に、中学の同級生のK一君にメールで伝えただけで他には誰にも言ったことが無い。
今から25年程前、
巨額(9桁)の借金の返済のために奮闘を始めて5年程経過した頃のことである。
この借金が出来た理由は話せば長くなるが、
要約すれば
学校の教員であった父方の祖父が父が7歳の時に早逝し
進学の道が閉ざされた父が、高等小学校卒業の後「(株)中島飛行機製作所」に入社し
やっと一人前になった頃に徴兵で満州へ行き、程なく終戦間際にソビエトの侵攻によりシベリア抑留(2.5年間)
バイカル湖の更に西方約700Kmにある、悪名高きタイシェット第7ラーゲリ(収容所)に収監(あえて収容とは表記しない)され、
まともな食料も、ろくな防寒装備もなしで零下50℃にもなるシベリアでの森林伐採等の重労働に従事させられた。
父のいた処では実に半数近くが栄養失調・発疹チフス等の伝染病・凍死で亡くなったという。
帰国後は「レッドパージ」により公職・大企業への就職に大きな規制が有り、専門の「機械分野」や「速記者」としては就職出来ず、
止む無く当座を凌ぐため現在の「板金業」に従事、下請け企業となる。

その後朝鮮戦争特需等で大きな浮き沈みを経験したが、
10人ほどの従業員を抱え昭和45年頃元請け会社が倒産し仕事が皆無となる。
その後自己(父一人で)開発の「そばカマド」等でメーカーとなるまでの2年8ヶ月間、
文字通り収入ゼロの状態で「10人程の従業員」に銀行借り入れで給料を払い続け、
仕事が無かったため従業員はノンプロの如く毎日野球の練習に明け暮れ、なんと当社は当時春日部市の軟式野球連盟の大会で雪印の系列会社である(株)アンデスハムを破り優勝している。

しかしその間に出来た借金は重くのしかかり、私が昭和58年に勤め人を辞めて家業に従事することになった時点で既に元金6,000万円程であった。

金の計算は父に似て苦手な私であるが、いくら何でもこれではダメだということになり、
新しい「飲食関係の事業」の計画をし、勿論従業員の方とも話し合いをしながら進め、
いよいよ計画に具体的に着手しようという処になって従業員から、
「やはり、良く考えてみたら他の業種で苦労するのは嫌だ。全員で退職する。」というのである。

私は耳を疑った。
1年半前に私に「帰ってきて自分達の為に家業を継いでくれ。」と言ったその同じ工場長の口からその言葉は出たのである。
しかも、のうのうと2年8ヶ月間何一つ仕事もせず、毎日朝から晩までキャッチボールをして給料をもらっていたその人達の決意なのである。

そして昭和59年、60歳を過ぎた父と二人きりで(正確には母もなれない事務仕事をし、姉も就職して自立して頑張ってくれた)気の遠くなるような借金返済の毎日がスタートし、歯を食いしばって頑張って来られた原動力は裏切ってやめて行った人たちへの「怒り」「恨み」そして「見返してやりたい」という感情であった。

そんな毎日を繰り返し、何時しか体も以前よりはかなり頑丈になり憎しみもやや薄れてきた頃、
いつものように一人で工場での仕事を終え帰宅するために県道320号を南西方向にさしたる感情も無く我が家を目指し車を運転して、
いつも通り慣れていて特段意識などしたことの無い「松富橋」橋上に差し掛かると、
そこからは、夕焼けで眼前の景色一面が見渡す限り真っ赤で、しかも真正面には夕映えの富士山が大きく見えた。感動した。

とてつもなく情けなく思えた。

借金に追われて毎日苦しい労働をしている自分が情けないと常日頃思っていたが、
この夕焼けを見た瞬間に覚えた情けなさは全く異質のものである。
夕焼けがこんなに綺麗だということさえも気付かずに、何年も過ごしていた自分が例えようもなく情けなく、
涙が溢れ出た、拭ってもぬぐっても止めどなく流れ出る涙で夕映えの富士山も霞み、なお一層赤く輝いた。

この一瞬で、この意気地の無い私も少し強くなれたように思う。
「自分の人生が情けないのは、状況が情けないこと以上に自分自身の心根が情けないからである。」
そう思えるようになったからだと思う。
元々明るい性格ではなく無表情で一人でいるのが好きだったような人間であるが、
これを境に少しは積極的に、そして許される範囲内で楽しむことも少しづつ出来るようになり、
多くの方たちと知り合うことも出来たのだと思う。
結局20年程で借金の返済は終わったが、この不景気である。
まだまだ大変であるが、親父が晩年よく言っていた言葉を思い出し頑張ろうと思う。

『どんなことも人生の大切な1ページだ。それがたとえ、如何に辛く嫌な事であっても、人生の貴重な時間であることに変わりはない。』
親父は75歳を過ぎたあたりから「残り時間の少ない自分にはどんな嫌な時間でも無いよりは有った方が有り難いんだ。」
と考えていたようです。
今大変な状況を抱えている方には、そしてもし低きに流れそうになった時には是非私の事を思い出して頂きたい。
こんなバカな奴でも何とか頑張って生きられるんだ、人生はそう捨てたもんじゃないよとネ。(^o^)

2014年2月12日水曜日

一生物(いっしょうもの)


大分前になるが、私の親友で不動産屋のN・Kがかなり高価な「バリバリーコート(仮名)」を着ていたので、たかが綿コートに何でそんなに金掛けるんだい?と聞くと、 「バリバリーは一生物ですからね。」と洋服屋に薦められたからとのこと。
一生物って、どんなに着てもバリバリーは袖口が擦り切れたりしないのか?と聞くと、
擦り切れても直しが効くように袖口を長めに合わせておいて、擦り切れたら詰めて直してまた着られる。 という返答。
ん? どこのメーカーのコートだってそうやって直せばまた着られるだろ。ということは、殆ど全てのコートは一生物ってことか?
騙されていても、本人が騙されていると気付かずに喜んでいる場合は詐欺と断定し難いからな、まあそんなもんかな。
それとも『一生もの』というのは、たとえボロボロになって雑巾のようになっても、平気で着用できる(使える)魅力をもっているもの、という意味なのだろうか。
そうであれば、私も是非『一生もの』になりたいところである。

しかしそれよりも、私の「被服」に対する考え方は、格好良い高級スーツに身を包んでいて、裸になったらカッタルイオジサンより、極普通の身形(みなり)なのに、裸になったらワ〜ォ!なオジサンの方が断然格好良いと思うし、そっちを目指したい。
ついでにもう一言、今流行りのスーツを見るとチャップリンの洋服を思い出す。 ツンツルテンでボタンを嵌めても腹が見えてて、尻の出っ張りが目立つのでそっくり返った体型のゴキブリの幼齡の幼虫にも似ている。
靴も長すぎだ。爪先に小物入れでも内蔵されているのだろうか? 日本人はどれだけ横並びが好きなのだろうか。
しかし本当は私も、若い頃はワンポイントやブランドのロゴ入りの服やスキーウェアを喜んで着ていたのだからあまり偉そうには言えないのだが。(笑)
それからもう一つ「命は大事に使うと一生持つ」そうです。 大事に使いましょう。m(__)m

2014年2月10日月曜日

発明の母

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「必要は発明の母」という言葉のとおり、確かに、無くては困る物や有ったら良いなと思う物はいずれ造り出される可能性が高いですね。

添付画像は発明とは言えませんが、母が入院時や自宅介護の状態の時に、ベッド上であまり動けずに過ごす時間が多くなったので、必要なものがすぐに手に取れるように作った「ベッド柵取付け用ポケット」です。
市販品でちょうど良い物が見付からなかったので自作しました。 母より5年早く逝った父の介護の時には、市販の縦型の「ウォールポケット」(ベージュ色の地味なヤツ)を一度切り離して横型に縫い直して作りましたが、母には「スヌーピー」のキルティングでちょっと可愛く作ってあげました。

どちらも私がミシンで縫って作りました。 15年程前に、いづれ何かの役に立つかも知れないと思い自分用のミシンを購入し、少しづつ練習していただけなので決して上手とは言えませんが一応実用に耐える物を作ることが出来ました。

このように何かを作り出そうとする時に、発想だけでなく製作に必要な技術がそこに用意出来ていると、構想が早くまとまり製作に早く着手しそして完成することが可能であると感じます。

色々と無駄なことをやってきた私の人生ですが、前向きにそれらもスキルであると考え、必ず何かの役に立つものと信じ進んで行きたいです。

私がブログなどに文章を書いてみようと思ったのも、まだパソコンさえ使わなかった3年程前のことであります。やはりいずれ文章を書く必要に迫られるだろうと考え、携帯のブログで練習をしてきました。
元々苦手で、中2まで姉に作文や感想文を書いてもらっていた私なので、当初は書く事自体が嫌で苦痛でありましたが、いつの間にか慣れました。

未だに下手な文章ですがね。(笑)

㈲吾嬬製作所 坂口哲男

2014年2月8日土曜日

感動に挑戦!

ふれあいキューブにて講演しました。

2013年4月26日に、東部地域振興んふれあい拠点施設
【ふれあいキューブ】http://kasukabehall.jp/backnumber.html 内の
『創業支援ルーム』 にて講演を致しました。

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人様の前で話をするなんてことは、
あがり症の私には不得意中の不得意であり、想像だにしなかったのでありますが、
折角お声掛け頂いたので「1時間半程の講演」にチャレンジさせていただきました。

創業支援ルームのホームページで紹介頂いております。

http://kasukabehall.jp/newsletter/2013-5-18.pdf
上手くなくとも、私の本当の気持ちや夢をストレートに話したところ、以外にも(@_@;)感動して頂けました!

また「コラボさいたま2013」(さいたまスーパーアリーナ)でもお客様の前で短時間のプレゼンをさせて頂きました。
上手く話す話術ではなく 「中身=心」が一番大事で、偽りなく本心を話せば共感して頂けるということが分かりました。

これでもう講演をすることは無いだろうと思っていたら、再び3月14日(金)に春日部商工会議所内でやることになりました!(@_@;)

不得意を克服し、更に「感動」に挑戦です!

 

by はにかみ屋のメタルマン

2014年2月5日水曜日

古奈屋の「クリーミーカレーうどん匠揚げ」



当社『吾嬬製作所』のお客様「巣鴨 古奈屋」さんの「クリーミーカレーうどん匠揚げ」
古奈屋さんのお店で販売されています。 315円(消費税5%込)
ネット販売もしているようです。
私、大好きです。癖になります。(笑)
それから、古奈屋さんの社長さん、奥様お二人とも大変良い方です。
いつもお世話になっております。m(__)m

(有)吾嬬製作所ホームページhttp://azumain.com/ も是非ご覧ください。m(__)m

2014年2月2日日曜日

(有)吾嬬製作所の看板  (思い入れ)

吾嬬製作所社票

大分年季が入ってきたステンレス製の看板です。
40年程前から使用しています。
通常は「厨房機器」と書きますが、
当社の場合はご覧のとおり「厨房器機」であります。
これは、昭和30年頃~下請けとして大型の厨房器具
の製造を業としておりましたが、
昭和45年頃元請け会社が倒産し、
『そばカマド』を主力商品とした「メーカー」として独立。
親父に言わせると『そばカマド』は「器械」であって「機械」ではないとのこと。
メインが「器械」である『そばカマド』なのだから
「厨房器機」が正しいという訳であります。
今でも時々「看板の機器の字が逆じゃないの?」とご質問を頂くことがありますが、
この経緯を説明すると『親父の思い入れ』に感心して頂けます。(笑)

2014年1月28日火曜日

「村 夜」   白居易

親父の書。  親父の一番好きだった漢詩(七言絶句)です。


素朴な農村の風景を淡々と読んだ詩としての評価が多いようですが、
きっと幼い娘を失い、続けて母親をも失った白居易が故郷の風景の中に、
都の高官や貴族達に比べれば取るに足らず、本当に無常で儚い「唯の農民の一生」ではあっても
1つ1つは粗末な蕎麦の花でも、その集合体は月明かりの下で眩く光り輝くように、
本当は素晴らしく価値の有るものなんだと噛み締めていたのではないかと、
私は思います。

話の合わなかった親父と、もっと色々話しておけば良かったなあと強く感じる
今日この頃です。
メタルマン

2014年1月22日水曜日

メタルマン 登場 !


「メタルマン」  春日部から登場 !



The  doorkeeper  of  K.M.M.I.C

 

 如何なる時も前方やや上方見つめる男 そのの名はマン』
  

「春日部機械金属工業協同組合」 非公認キャラクター !






2014年1月18日土曜日

川崎市で表彰されました!


「第5回 かわさき福祉製品アイデアコンテスト」
で『優秀賞』(最上位の賞)を受賞致しました。
今後も、本当に役に立つ物を作り続けたいと
思います。
CIMG1881

川崎市のホームページで受賞作品が発表されました。
http://www.city.kawasaki.jp/280/page/0000054406.html